2013年1月31日木曜日

I read one book.
The books name is kinoinochi kinokokoro.
Writer wrote not only the trees quantify but also wrote about human education.
I thought present Japans education should be revised upward.
When people read this book ,many will think why quantify of tree and human education are correlated.
You will understand if  you read this book!


2013年1月10日木曜日


ソーシャルリーディング
世界に紹介したい本

1、百田尚樹『永遠の0』講談社文庫 2009年
         http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=276413X



2、伊坂幸太郎 『砂漠』 新潮文庫  2010年
       http://www.shinchosha.co.jp/book/125025/



3、天童荒太  『永遠の子』幻冬社文庫  
      http://book.akahoshitakuya.com/b/4877282858

2012年12月13日木曜日

1868年に製造されたコンクリートブロックは、私たちの時代の基本構成要素となった。1947年、レゴブロックという「自動結合ブロック」が作られ、瞬く間に全世界に広がる。
それを使えば、家や橋をエンジニアでなくとも作ることができるからだ。
トランジスタという小さな部品は、複雑な回路を作ることができるものの、専門家向けであった。それを変えようと、アヤ・ブーデルの探求は始まった。
その後開発されたのがlittle Bitsというものである。これはとても強力で、半田付けなしに簡単に電子装置を組み立てられ、子供にも手の届くものとなった。技術者でなくとも、手の届く装置のlittleBitsを作ったように、生きて反応する私たちの世界を一緒に創ることを目指す。

私は、この誰でも使うことのできるlittleBitsはとてもいいと思いました。何故なら専門家でなくても簡単に色々なものを作ることができるからです。子供でも簡単に使うことができるとなれば、幼少時代からものを作り試行錯誤することによって想像力も育まれると思うからです。誰でも手の届くものにすることによって、多くの人が周りを取り巻くこの世界の創造者となり得る気がします。

ルビー・ワックス   「精神病の何が悪いの?」

娘の運動会を機に精神病に陥り、真の恥というものを受けた彼女に、千、十万の口汚い言葉が襲いかかる。それが「自分を殺したい」などの毒となった化学物質となる。
精神的ダメージを受ける時、それは豊かな創造力なのか?
私たちの脳は、単細胞から始まり世界を見るための後頭葉、聞くための側頭葉、また千億のニューロンで満たされている。その一つ一つには一〜十万の接続があり、学ぶたびに育っている。二十一世紀型で進化の追いついていない私たちは話し、学ぶ必要がある。

私は、現代の人の脳が、二十一世紀型でなく進化に追いついていないと知り、驚きました。人は何万年も前から進化し続けてきたから脳も当然かなり進化していると思っていたからです。しかし古代の人の脳は常に燃料がありました。しかし現代ではそうではありません。処理能力が欠けている私たちは、病気になる前に人生と向き合い考える必要があると思った。

2012年12月6日木曜日

TEDカンファレンスのCandy Chang: Before I die I want to...
という講演を見ました。
この講演は、近所の人や身近な人と、ちょっとした道具を使って公共の場でいろいろな知恵、例えば空家になった店の使い道、要望や知恵などをいろんな人と共有出来ないかということについて話したものです。
近所をもっと素敵な空間に、また自分の人生を永遠に変える何かはないかと考えていたこの講演者は少し前に大切な人をなくしたそうです。その時、 死についてよく考えるようになったそうです。そして、空き家の壁を大きな伝言板のようにし、「死ぬ前に⚪⚪したい」の、⚪ ⚪に入れる言葉を公共の人にも考えてもらおうとしました。すると、多くの人によって、「死ぬ前に本当の自分になりたい」や「死ぬ前に自給自足の生活をしたい」などの色々な解答が翌日書かれていました。 公共の場はこのように強い力を持つのだということに気づきとても驚きました。自分は一人ではないということがここで知ることができます。講演者の人がいうように、時間と他人との関わりを一番に考え、人生の短さに気づくことはとても大事です。私たちの共有する場所で経験や希望などを共有すればさらにより良い場所となるし、 お互い助け合いながら生活していけるんだという事をこの講演を見て気付かされました。

2012年11月29日木曜日

『街場の大学論』を読んで、まず学術論文とレポートには大きな違いがあることに気づかされました。レポートは、教師以外の人が読むことは考慮せず、自分の勉強成果を教師だけに分かってもらえれば良い。しかし学術論文の場合は、多くの人に長い間読み継がれることによってその価値が構成されます。つまり、「読者のため」に書きます。読者から、読んでよかった、ありがとう、と言われるような論文は、学術性の本質である「贈与」であることを知りました。また、引用文献を記載する意味も今までに考えたことがなかったけれども、これは、「あとから追試する研究者」、すぐに出典について調べたい人のために贈る、ささやかな贈り物であるんだと知ることができました。論文こそ今までに一度も書いたことは無いけれども、学術論文は何のために書くのかと問われれば、合格点や博士号を取るためであるなど、自分の有利性をまず考えたと思います。しかしそうではなくて、学術論文は、次の世代へちょっとしたものを添えてパスするものなんだということです。
論文を書く時、「私はこんなに勉強しました」というようなことも書かない、論文は自分のために書くものではないということを念頭にいれて、取り組みたいと思いました。